人生の冬を思う

職場に向かう途中の住宅街で、腰の曲がったおばあさんが、ゆっくりゆっくり、落ち葉をはいているのを見かけて、自分が年老いた時の生活について考えた。
そのおばあさんを見た時、最初に思ったのは、自分は年老いた時に家を所有していたくない、ということだった。
単純に、老いていうというのは身体的なリソースが減っていくことだと思う。
体が動かしにくくなり、場合によっては痛みを伴うようになるかもしれない。
視力などの感覚も衰えていくのだろう。
そのような状態になった時、自分の限られたエネルギーを掃除や炊事などの雑事に費やしたくないと思ったのだ。
また、祖父母や父母を見ていて感じるのが、諸感覚が衰えることで、汚れやにおいに気づきにくくなっているということだ。
そうなると、掃除などが行き届かなくなるのは必然だろう。
ましてや、戸建てなどの大きな家を所有していると物も増え、より一層維持管理が大変になっていくのは明らかだ。

でも、とも考えた。
もしかしたら、そういった身の回りのことを続けるということが、身体的な機能や認知の維持にとって大切なのかもしれない。
それに、老いとともに欲求が薄れていくことも考えられる。
買い物をするとか、旅行に行くとか、今やりたいことを、老いてもなおやりたいと思っているとは限らない。
だとすると、限られたリソースを生活の維持に費やすことは、一方で幸せなことなのかもしれないとも思ったのだ。

そうなってくると、サービス付き高齢者住宅のようなところで、サポートやサービスを受けながらも、自分自身で家事を行って、生活を整えていくことができる環境が今のところ考えられるベストかもしれない。

自分がどのような老後を過ごしたいのか、今のうちから考えることは無駄ではないと思う。
可能性は一つではない。
病気になるかもしれない、パートナーを先に亡くし一人になるかもしれない。
どんな状況になっても、自分に選択肢を与えられるように、心と体を健康に、そして経済的なことももちろん、備えておきたいと思う。



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