思考と感情は選べる

ブログのホーム画面のヘッダー画像を変更した。
初めて、AIの画像生成を利用してみた。
イメージする画像のキーワードを入力して作ってもらうのだが、これが意外に難しい。
キーワードを追加したら思いがけずイメージとかけ離れてしまったり、細かな部分の表現がうまくいかなかったり。
あれこれ試してようやく納得できる画像ができあがった。
眠るのが大好きな自分のアイデンティティーと、このブログのコンセプトである「日記帳」を掛け合わせたデザインにした。
ベッドに寝転がりながら気楽に書くような、パーソナルなページであるというイメージも含まれている。
AIに作ってもらったとはいえ、自分のイメージを自分の言葉で表現してオーダーした画像なので、オリジナリティーがあって嬉しい。
誰かが作ってくれた画像を借りてきて使用するのとは違っている。
自分だけの特別なスペースが出来上がっていくようで、自分のブログへの愛着が増していくのを感じる。

今日は、「思考と感情は選べる」ということについて考えていた。
この言葉を初めて聞いた時のわたしは、まだ癒しが進んでおらず、にわかには信じがたかったけれど、カウンセリングやタッチセラピーを受けることを通して、少しずつ実践できるようになってきている。
感情は思考に伴って発生するものだから、思考をコントロールすることで感情もコントロールできる、というような説明だったように思う。
自分自身の思考について、よくないパターンというものが必ず存在すると思う。
私の場合は、ポジティブな側面を無視してネガティブな側面だけを拾い始めるという負の連鎖に陥ることが多い。
特に、身近な人とのコミュニケーションにおいてこの状況に陥る。
思考を選ぶ、というのは、自分がこのよくないパターンに陥っていることに気がつき、方向転換する、ということなのではないかと思う。
そのためには、自分のパターンを知ることが大切で、自分を客観的に見るためには、こうしてアウトプットをしたり、カウンセラーさんのようなプロの力を借りることも必要だと考えている。

思考を選ぶということについてはなんとなく理解できるのだが、感情を選ぶというのはまだ少し分からない。
感情を選ぶということと、感情を無視する、ということが私にはまだ一緒に思えてしまっていて。
カウンセリングを通して、自分の、湧き出る感情を抑え込まないことの大切さを教えてもらった。
ということは、自分の感情を選ぶ、というのは無視することではないはず。
怒りや悲しみなどの、感じたくないような感情も、ちゃんと感じて消化してあげることが、心の健康のために大切なのだ。
無視はせずに選ぶ。
自分のネガティブな感情も、それを今感じていると客観的に見つめて、手放す、というようなプロセスのことを、感情を選ぶと表現しているのか?
だとすると、やはり、思考と同じように感情のコントロールについても、客観的に自分を見つめることが必要になるのかもしれない。

そんなことを取り留めもなく考えていた1日。


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